【4-4-1】馬場谷地湿原モニタリング報告

II 馬場谷地湿原の植生変化について

1.調査地の概況および調査目的
 馬場谷地には多くの泥炭地湿原がある。その植生については橘(1982)の包括的な研究がある。  今回対象となった馬場谷地は、吾妻連峰の主稜線が、その西部において、矢筈山(1,512m)と西大巓(1,982m)の間で低平になったあたり(1,475m)に発達した高層湿原である。  その植生については樋口ほか(1995)の報告があるが、湿原としての特性を知るには泥炭層の厚さや形態などさらに解明すべきことが多くある。
 磐梯朝日国立公園西吾妻一切経縦走歩道は吾妻連峰の主稜線沿いに通じており、馬場谷地部分ではそのなだらかな最高所を幾分無秩序に通っていた。  そこでは、踏圧によって高層湿原特有のミズゴケカーペットが姿を消すなど深刻な植生荒廃がみられ、また、歩道そのものも一部でぬかるみ、歩行さえも困難な状況になっていた。  1995年に吾妻山周辺森林生態系保護地域が設定されたのをしおに、秋田営林局はこの歩道の整備を手掛けた。
 1997年秋に実施された工事は、径35cm、長さ60cmの輪切り丸太を縦に並べて埋め、その上端の小口面を人が渡って歩けるようにしたものである(秋田営林局・前橋営林局1998)。しかし、丸太を埋めるために行った穴掘りで泥炭層は破壊され、泥炭なるがゆえに埋め戻してももとには戻らない。そのため湿原の水理が変化し、湿原の自然にさらに深刻な影響を及ぼすおそれのあることが民間の自然保護団体等によって指摘され、また、丸太そのものにも不安定なものがみられ、その上を人が歩けばまた新たな湿原破壊を生む恐れも指摘されるところとなった。
 こうした問題への対応として設置された検討委員会は、検討の結果、新たな迂回路を開発して丸太道は廃止すべきこと、および、丸太道が湿原の自然に与えている影響について追跡調査すべきことの2点を答申した(興林コンサルタンツ、1999)。秋田営林局はこの答申に沿って新道の設置と旧道の廃止を行い、また、答申を受けて設置された調査担当委員会は、答申に沿って1999年より3年間の調査を実施した。この調査においては、丸太道の馬場谷地自然への影響だけでなく、そのバックグランドとしての泥炭層や植生等、馬場谷地自然一般についての解明のための調査も必要であることが確認され、実施された。                             
  (樫村)
2.泥炭層の形態と湿原類型
 見たところ馬場谷地は西、北(または北東)、中、南の4つの湿原とその間に割り込んだオオシラビソの叢林からなる(図II-1)。このうち西湿原と北湿原が吾妻連峰の主稜線に沿って連なっており、問題の丸太道はこの2つの湿原を貫いて通っている。これら2つの湿原の南側斜面に叢林が広がり、叢林の下手に南湿原がある。中湿原は北湿原と南湿原の間の叢林内に位置する。
 これらの湿原のうち西湿原と北湿原については、1998年に興林コンサルタンツによって全面にわたって地形測量が行われた(興林コンサルタンツ、1999)。
 本調査のための基線は、西湿原に1本(W線またはEW線)、北湿原に1本(NS線)、丸太に直交するよう設置された。北湿原の1本は、馬場谷地全体の調査基線も兼ねて叢林を貫き南湿原の先まで延長された。これらの基線に沿ってほぼ10mおきに基点を設置し、1999年に興林コンサルタンツによって高低差測量と泥炭層深度の計測が行われた(付録Ⅰ-2)。
 植物遺体が泥炭となって厚く堆積する高層湿原には、泥炭が堆積する基盤が、湖成層で水平なものと山地斜面で傾いているものとがあり、前者では泥炭層はドーム状に高く盛り上がり、後者では傾斜に応じて厚さに変化があるが総じて板状になる。前者をレイズド湿原、後者を傾斜湿原という。上記の測量結果をみると、馬場谷地の泥炭層の広がりは叢林下まで及び、4つの湿原とその間の叢林を含めて全体として1つの傾斜湿原をなすことが明らかとなった。泥炭層の厚さは、傾斜湿原の常として基盤の傾斜と関連し、傾斜の緩い北湿原で厚い。その厚さは北湿原の南縁でほぼ2mに達する。平均値は北湿原で174cm、叢林で122cm、南湿原で139cm、西湿原で108cm、また、丸太道の下は、西湿原のW線(W3)で130cm、北湿原のNS線(NS4)で170cmであり、設計通りとすれば60cmの丸太の下にはさらに70~110cmの泥炭層があることになる。
 なお、吾妻連峰の主稜線に沿っては多くの湿原があり、馬場谷地はその西端の湿原である。これらの湿原の多くは主稜線直下の多雪の緩傾斜地に発達した傾斜湿原であり、馬場谷地と同じ湿原類型に属する。
(樫村)
【図II-1 馬場谷地湿原と調査線および調査基点】
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