【6-2-1】米沢をとりまく自然環境敷石の黒沢峠黒沢側の入り口
江戸時代からの米沢と新潟を結ぶ街道を越後街道(新潟側からは米沢街道)と呼ぶが,
新潟の関川から山形の小国・飯豊間は,十三峠と言われる大小の峠が連なる難所だった。これら峠は江戸時代後期に石畳で整備され,特に現在でも黒沢峠は石畳が良好に保存されている。 これは2004年10月に歩いた時の写真。 石畳は滑りやすかった
黒沢からの登り口は杉林の木立で石畳は濡れて滑りやすく,結構歩くのが大変。
明治初期にはイギリスの旅行家イザベラ・バードも歩いた(馬に乗って)が,印象は悪かったようだ。
「何百というごつごつした石の階段を上ったり下りたりする。暗いところでは愉快なことではなかった」
(「日本奥地紀行」高梨健吉訳・平凡社)
こんな感じの石畳
石畳がこけむし,風情のある味わい。周りがブナの広葉樹の場所は明るく,気持ちよく歩ける。 道沿いの枯木のきのこ
ほとんどのブナの木は二次林だが一部だけ古木が残っている。これは枯れて上部がなくなり,こけむした株にタヌキノチャブクロがいっぱいでていた。 ブナの巨木
樹齢数百年と思われるブナの巨木。江戸時代の重い荷物を背負った人々や,イザベラ・バードもこの脇を通ったかと思うと感慨ひとしお。 黒沢峠の頂上
ここが頂上。小国は山国だが比較的海に近く,標高は低い。この頂上の標高も低い。ブナの倒木のきのこ
ブナの倒木に発生していたナラタケ(オリミキ)。ギヒラタケ(スギワカエ)も出ていたが,折悪しくスギヒラタケでの急性脳症の疑いが報道された。 石畳で何を?
こちらは,頂上から市野々側に下った場所。石畳にもナラタケがでていたのを取っているのです。市野々側の標識
こちらが黒沢側の反対側の市野々の入り口の標識。入り口の様子
この県道から左側に入っていくと前の標識がある。ところで,この場所は,現在は横川ダムが建設されていて,水没する予定である。 ダムが完成した場合に,黒沢峠に行けなくなるのかどうか分からないが,少なくとも 今の状態の入り口からは入れなくなるだろう。 |