【3-1-1】堀立川遊水地堀立川遊水地奇談
400余年前,直江山城守が松川の上流から城下へ,水を引き入れたといわれる堀立川上流は笹野の地に
大きな遊水地が造成されようとしている。造られる理由といえば,50年に一度といわれる羽越水害時のような,
集中豪雨で氾濫した水が,米沢市街に押し寄せないようにするためである。
現場を見ると,やや低くした堤防が造られており,溢れた水が大きな池に溜まり,洪水を防ぐ仕組みである。
天災は何時やってくるか分からない。百年の大計として喜ぶべき施設かと思われる。
平成5年の7月,山形地質学会の実地研修が斜平山(なでらやま)で行われた。
その帰路,一行がたまたまこの遊水地工事の現場にさしかかった。餅は餅屋,という言葉があるが,第六感が働いたと見え,
車から数人が降りて現場に立ち入ったのである。
そして彼らは巨大な池ののり面に異様な紋様の地層を見つけた。それは波状の紋様を描く地層で,今から1万~2万余年前 氷河期のウルム氷期時代の地層と判明した。更に池の底に黒く露出した泥炭層上に,多数の埋もれ木や樹木の果実を見つけたのである。
これらも同時代の森林の跡であることが分かった。ちなみに樹種といえば,アカエゾマツ,ツガの一種,チョウセンゴヨウ マツなどで,今北海道の大雪山の森林を思わせるような樹林がこの地に存在していたのだ。
このような貴重な遺跡を市民に知らせようと,新聞記者を伴い現地説明会が行われたのは9月の上旬であった。 この工事の施工主は山形県の建設事務所ということで,4人ほどで報告かたがた保存について陳情した。 この時応対に当たった課長,係長は丁寧に話を聞いてくれた。ところが思わぬ構想が話に出てわれわれは唖然としたのである。 遊水地の壁面はコンクリートのブロックで覆い,底面には排水装置を施し,土盛りしてテニスコート,ゲートボールコートなどを造る。つまりスポーツ公園構想である。 従って,壁面の氷河期時代の地層を保存することは難しい。また,池の底面は土盛りによって覆われ, 森林や埋もれ木を残すことは難しいとのことであった。 そのご,建設省に出張の際陳情などしてくれたが,結局将来説明版を近くに立ててはということで終わってしまった。
平成6年から7年にかけて,工事が停滞している間に掘りかけの遊水地は大きく変化していった。
底面から湧出した水や,浸透水などが溜まり,浅水の湿地が生まれたのだ。
早速,ガマやアシなどの大型草本,それにカヤツリグサやイネ科の植物,オモダカ,イボクサ,ハッカ,更に驚いたのは
県内でも珍しいコガマやミクリなどが繁殖する立派な湿原になったのだ。
植物があれば動物が入ってくる。トンボをはじめとする昆虫類,野鳥,大型の水鳥や渡り鳥が何時しか訪れるようになった。
これを知った自然の好きな市民が訪れるようになり,知られざる自然の楽園であった。
静かに瞑想にふけるごとく佇むアオサギの姿,平和そのもののような純白のシラサギの群れ飛ぶ姿に,
誰しもああこのままであって欲しいと願う声も出てきたのである。
平成8年工事は急速に進展した。真ん中に突き出ていた工事用の道路も除かれ,いよいよ長方形(南北に長い)の 遊水地の全貌が現れてきた。勿論自然の楽園は根こそぎ取り払われた。 ある日訪れたとき,一羽のアオサギが上空を舞いながら,しばらくして飛び去っていくのを見た。 塒(ねぐら)を失った彼らはどこへ行くのか,こんなことが日本全国で起こっているのかと思うと,胸が掻きむしられるようである。
スポーツ公園はやがて完成することであろう。
一番心配することは,この施設が環境汚染源になりはしないかということである。
できれば自然公園を併設して欲しい。立地条件がスポーツ公園より自然公園にしたほうがふさわしいからだ。
そしてスポーツ公園の汚染物質が自然(特に植物)の力によって浄化されると確信するからである。
具体的にいえば,上部のほうに造られたコートなどに除草剤などが撒かれると,その浸透水は汚染されたものであり,
堀立川に流出する前に浄化されることが望ましい。それを湿原で受け止め,アシやガマ,マコモなどの力で浄化させようという考えである。
全国各地で今それを行っているのだから,米沢でできぬ筈はない。
自然環境にやさしい開発とは何か,日本ばかりでなく世界各地で起こっている自然破壊の原因であったものは何か,
現在は考え直すだけでなく敢然と実行するときが来たように思う。
(石栗正人:「吾妻つうしん」69号・1997/1月号に掲載の論稿です。写真は2003年12月。) (編集部注:スポーツ公園構想は2004年時点で断念となった。) |