【2-2-4】弥兵衛平湿原

弥兵衛平湿原の植生復元の試み(その4-生育失敗02年~04年)

[失敗した第2の播種区(2002年6月29日撮影)]
picture 最初の試験区に播種をした翌年(2001年)の秋、同じ区域内に1m四方の播種区を新たに7個設けたが、 その翌年の状態がこの写真である。 ほとんど発芽していない。異常気象で不稔種子が多かったか、採種後の種子の保存が悪かったかであろう。
[第3の播種区(2003年9月7日撮影)]
picture 植生マットが役割を果たさない中でこの日3回目の播種がおこなわれた。 採種した際についてきた茎葉をなるべくそのまま、マットの芯として使われたプラの網(光分解性と聞いている)に 絡めるように播いた。 手前からキンコウカ・ネバリノギラン混合、ミヤマイヌノハナヒゲ・ミカヅキグサ混合、ミタケスゲ単独、の各播種区である。
この2003年の播種までが山形県の事業としておこなわれた。 ネイチャーフロント米沢はまだ存在しなかったので、弥兵衛平にかかわる検討委員会の一員でもあった青柳が 県の要請により現地での種子採種などの指導に当たり、また折にふれて県に対する意見を述べたりしていた。
この年の採種・播種を行うにあたり、青柳は「現状のまま事業を続けても成功は見込めないので、 過去四年間の経過を総括し、方法の改善を図るべきである」旨を口頭で県の担当者に申し入れていたが、多分それを受けて、 株式会社復建技術コンサルタントから「弥兵衛平湿原植生調査業務委託 報告書」が提出された。 内容は青柳らの見方と概ね一致し、あるいは裏付けるものであった。
この頃県から、弥兵衛平の植生復元事業を地元米沢の自然保護団体などに委託したい (県は経費の補助と実務面での援助をする)という申し入れがあり、それが直接の契機となって ネイチャーフロント米沢の立ち上げに至った。
(「ネイチャーフロント米沢の設立趣意」を参照) ここから後は「ネイチャーフロント米沢」としての事業経過報告となる。

[第3の播種区1年後(1)(2004年7月12日撮影)]
picture キンコウカ・ネバリノギラン混合区である。これらの植物は採種対象にしていなかったが、 ボランティアが間違って採ったもので、採種時期も適切でなかった。 無駄にしないために播種してみたが、ほとんど発芽していなかった。

[第3の播種区1年後(2)(2004年7月12日撮影)]
picture ミヤマイヌノハナヒゲ・ミカヅキグサ混合区である。 ミヤマイヌノハナヒゲは採種量も多いので、芽生えた株数は最も多い。 ただし果実そのものが大変小さいので、新苗は細く弱々しく、保護なしで生き長らえるのは難しいだろう。

[第3の播種区1年後(3)(2004年7月12日)]
picture ミタケスゲ単独区である。果実が大きく、新苗もやや大きいが、採種可能な総量がもともと少なく、 それ故発芽数も少ない。保護なしではやはり3,4年で消滅するだろう。